天理教愛昭分教会



子育て歳時記
- 「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」と謳われるように、ひじょうに爽やかな季節です。目に見える景色、豊富な食料からこの文句の通りの生活は今もあります。
- しかし、このような文句を謳える心の余裕、豊かさはあるのだろうか?
目に青葉やうぐいすの声を聞かしてくれる山や野に産業廃棄物をこれでもかというくらいに埋めたり積んだりする。こんなことを言うと、一部の自分の事しか考えない身勝手な輩のする事だろ!と怒る方がいるかもしれません。しかし、本当にそうだろうか…。
- 確かに最終的に捨てた人が悪い訳だが最初に物を出したり捨てた人がいるから、山のようなゴミになっているんでしょ。まだ使えるものを捨てたり、最初に処分を請け負う業者の選定を価格の安さだけで決める。そして下請けにもっと安い価格で仕事を廻す、結果が一連の問題となっている訳です。ですからゴミを出さないで生活している人はいないので、問題の元は我々の今の生活にあると思うのです。お金だけもらって適切な処理をしない業者が悪いに決まってますが、見つかった人だけのせいにして根本的な原因を考えないと、今の政治と同じですね。チョット言い過ぎかな?
- こういう無責任な風潮はどこからくるのでしょうね。やはり良くも悪くも文化ですから、今のこの状態が日本の文化ですからこれを変えるには子どもの教育を変えなくてはならないと思います。教育とは学校でするものじゃなく家で家庭でするものという考えを持たなくては、人任せな無責任な文化は無くならないと思う。男女平等がいわれる現代ですがやはり子育ては母親の存在が大きいですね。先日、外山滋比古という方の本を読んでいたら面白い事が載っていたので紹介します。
あなたは”カッコー・ママ”になっていないか
- カッコーという鳥はいい声で鳴いて、聞く人の心を慰めます。ところが、このカッコーが、子育てという点では、まったくダメなのです。自分で自分の子を育てられないというのですから呆れます。
- どうするのかというと、ほかの鳥の巣に卵を産み落とします。どの鳥でも良いというわけではありませんから、カッコーも育ての親は選ぶのです。選ばれてひどい目にあうのは、オオヨシキリという鳥です。オオヨシキリは自分で巣を作り、そこへ卵を産みます。すると、そこへカッコーがやってきて、オオヨシキリの目を盗んで卵を産み落とします。これをカッコーの託卵といいます。オオヨシキリは勿論そんなこと露ほども知りません。オオヨシキリの卵と同居しています。カッコーの卵はオオヨシキリの卵よりほんのすこし早くかえります。カッコーは親もひどければ、小鳥もひどくできているようで、還るとすぐ、オオヨシキリの卵を巣の外へ放り出してしまって自分だけ巣の中におさまります。そうとは知らないオオヨシキリの親鳥は侵入者のカッコーの子を自分の子と思い込み、餌を運び育て一人前(?)のカッコーになるまで育てます。
- こうしてカッコーは生みの親と育ての親が別々になっているのです。どうして、カッコーが子育てをしなくなったのかは、学者の研究でもわからないそうですが、自分で育てていたのがいつか、忘れてしまったのでしょう。
- カッコーの事を書いたのは、鳥のことは人間には関係がないと言っていられないからです。今の家庭のお母さんの中にカッコー・ママが少なくないように思われます。産むのはカッコーと同じように産みますが、すぐ保育園へ入れてしまう。あとはすっかり他人任せ。そうしておいて、我が子を少しも可愛いくない、と言い出すお母さん。カッコーに似ています。仕事があるから子どもを保育園へ入れるというのが順序ですが、今では子供を育てるのが嫌だから…、どう育てていいかわからないから…、保育園へ入れたいから…、とにかく仕事をしなくては…、というお母さんがかなりあるようです。これでは益々カッコーに似てきます。無責任に育てられたらカッコーの子どものようになりますよね。
- この文はまだ先があるので次号で紹介して、考えてみたい。
KENT