天理教愛昭分教会
Heart & Heart

Heart & Heart
-Vol.203-
R167/09/20

元(もと)の親・元の教え

月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから (おふでさき 14号-25)
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり (おふでさき 4号-62)
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ (おふでさき 4号-79
せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんとゆうわさらにないぞや (おふでさき 13号-43)
よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから (おふでさき 1号-1)
そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや (おふでさき 1号-2
せかいにハこのしんぢつをしらんから みなどこまでもいつむはかりで (おふでさき 14号-26)
 ある人が教祖におたづねいたしました。
「人間は、なぜ生まれて来たものでございましょうか。」と。
 教祖、おおせには「人間は、はたらきに生まれてきたのやで。」と。
(高野友治 著 「教祖おおせには」より)
 又、ある時のお話に「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、側楽、ハタラク)と言うのや。」とお聞かせ下された。
稿本天理教教祖伝逸話篇 197 働く手は より)
暗闇は声をたよりについてこい、夜が明けたなら成程という日があるほどに。
このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち (おふでさき 6号-4)
愛昭分教会長 花井基弘

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