教祖ひながた
- 天理教教祖・中山みき様は、天保9年(1838年)天啓を受けられてから50年間、親神様の仰せのままの道をお通り下さいました。この道こそ、万人が救かるひながたと教えて頂きます。私たちの人生には、さまざまな出来事があります。時にはとんでもない失敗から絶望の淵に立たされることや、失意のどん底に落とされることだってあるのです。けれども、人間は自分の心一つで、どんな中も乗り越えていけるということを、教祖(おやさま)のひながたから学ばせて頂けるのです、教祖ひながたは私達が救かる為にお残し下さったのです。
- 人生の幸福は困難に遭わないことではなくて、むしろ、あらゆる困難に打ち勝つだけの心づくり、人間の生きる力は弱点に打ち勝つ修練から生じるのです。
不幸そのものに多くの益はないが、それはなお三人の健気な子供を持つ。その名を、力、忍耐、同情と呼ぶ。
(女流詩人・ヘルウィッヒ [ドイツ])
- 教祖のひながたは、教祖お一人で成り立っているのではなく、相手があってのことです。相手にどのような態度で接しられたかが大切なことなのです。
- 教祖は人を救けるために愛を捧げ、極端なまで物や金を施された時もありました。捧げっぱなし、与えっぱなしのいわば「情たすけ」の時代です。一方、それを受けた側はどうだったでしょうか?
施しを受けた人は「あぁ救かった」とその場限りの喜びに終わってしまったのではないでしょうか。事実、それらの人の中でのちに信仰し、人救けのできる用木に育った人はないのです。貰って喜ぶだけでは本当に救かったとはいえないのです。
- 与えて喜ぶか、貰って喜ぶか、教祖のひながたはどちらでしょうか?
- 教祖は人を救けて我が身救かると教えて下さいました。人を救けるということは正に与えて喜ぶ世界であります。教祖は、
命あっての物種と言うてある、身上がもとや。金銭は二の切り(二番目に大切なもの)や、今火事やと言うたら出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人はありゃせん。大水やと言うてもその通り、盗人が入っても命が大事やから惜しいと思う金でも出してやりますやろ。悩むところも同じことや。早く二の切りを惜しまずに施しして身上を救からにゃならん。それに惜しい心が強いというのは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず金出しているようなものや。惜しいと思う金銭、宝残りて身を捨てる。これ心通りやろ、そこで、二の切りを以て身の難救かったら、これが大難、小難という理やで、よう聞き分けよ
- と仰言いました。4月18日は教祖の誕生祭がつとめられます。誕生してからの40年間の情だすけをへて、50年のひながたの中から、どれだけ救けて頂けるヒントが多いことでしょう。