あたりまえ
- 先日、海外からの来客が続いた。アフリカ・ウガンダからとハワイからである。
- ウガンダの校長先生ディディーさんは日本の中学校を訪問した。案内役の教頭先生の話に熱心に耳を傾けていたが「アフリカでは、貧しくて学校に行きたくても行けない子供達がたくさんいる。私は私財を投じて180人の学校を経営している。日本の子供はこんなに恵まれているのに何故学校に来ない子がいるのか?」と不思議そうに語った。
- ハワイの吉岡会長は、おかあさんから仕込みをうけた、せつ奥様の思い出を語った。「ハワイでは、理の仕込みできない。ひのきしんの歌ある。
おじさんお荷物重いでしょ、そこまで持たせて下さいな。
僕らは道の子、教会で習って覚えたひのきしん。
おばさん赤ちゃん重いでしょ、どうぞこちらへお掛けなさい。
私ら道の子、教会で習って覚えたひのきしん。
誰でも困ったその時は、人の親切身に染みる、互いに難儀不自由を助け合うのがひのきしん。
- 今は、このあたりまえのひのきしんができない。」と言われた。日本はどうだろう?
そして我が家は、我が教会は、と考えると恥ずかしいことばかりであった。「あたりまえ」のことが、できていないことが多いのである。
あたりまえ こんなすばらしいことを みんなはなぜ よろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる お母さんがいる 手が二本あって 足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける 手をのばせばなんでもとれる
音が聞こえて声が出る こんなしあわせはあるでしょうか
しかし だれもそれをよろこばない あたりまえだ と笑ってすます
食事が食べられる 夜になるとちゃんと眠れ そして又朝がくる
空気をむねいっぱいすえる 笑える 泣ける 叫ぶこともできる 走りまわれる
みんなあたりまえのこと こんなすばらしいことを みんな決して よろこばない
そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
なぜなんでしょう あたりまえ
(井村和清著 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」より)
- 人は病気の時に健康のありがたさを知る。という言葉があるそうです。
- 今日、元気に生かして頂いている喜び感謝を親神様にお礼申し上げたいものです。その行動を 「ひのきしん」 と、お道では言うのです。
八ッ やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん (
みかぐらうた 三下り目)