"新組織" 〜教祖120年祭と愛昭80周年に向けて〜
- いよいよ来年1月26日には教祖の120年祭が御本部でつとめられます。三年千日と仕切って年祭活動をつとめてまいりましたが、昨年頃より愛昭分教会ではさまざまな節をお見せ頂いております。明治32年1月27日のおさしづに、
一つふしという、ふし無くば分からん、どういう事あろうか、こういう事あろうか、ふしから芽が出る。
(M32.1.27
おさしづ)
- とあります。創立以来77年を迎える只今、三年後には創立80周年を迎えます。今一度、信仰の元一日、初心にかえって、心引きしめ、心立て替えさせて頂き、新しい芽を出させて頂かねばなりません。
- さまざまな節を見せて頂いているということは、神様の親心であり、天の手紙であります。今、たくさんの問題をかかえている教会ですが、そもそも、教会というものは何の為にあり、どうあるべきでしょうか?
さあ、あちらもこちらも名称という。元一人から始め掛けたる道である、年限早い遅いは無い。心の治まりたる者から寄せる。心治まれば鮮やか
(M33.2.8
おさしづ)
教会は神一条の理を伝える所であり、たすけ一条の取り次ぎ場所である。その名称の理を、真によく発揚するには、ここに寄りつどうものが、ぢばの理に添い、会長を芯として、心を一つに結び合うのが肝腎である。
(
天理教教典より)
- とあります。どのような節にでくわそうとも、その中最も大切なことは、そこに寄り集う人々の「心」であると神様はおっしゃられておられます。心治まる、その為に何を中心に治めるかといえば、言わずと知れたことですが「ぢば」中心、神様中心であります。決して自分中心ではありません。ちょいとはなしでも「神の言うこと聞いてくれ」とお教え頂きます。「ワシの言うこと聞いてくれ」とはおっしゃらないのです、そのことは頭では皆んなわかっているのです。
- しかしながら現実に人々が寄り集う中にはさまざまな癖、性分がぶつかり合い埃がたちます。中には埃をかぶり、せっかく結構な神様のお話を聞かせて頂きながら、心濁しながら道を通っている人もあるのです。私自身が時にそうなるのであります。喜べない、勇めない、心は治まっていないのであります。埃の積もった、徳の切れた姿であります。どうかしっかり埃を払い、徳積みに励みたいですね。
- また、一人ひとりの信仰心もさることながら、愛昭分教会全体として神様に、あるいは人様に喜んで頂く動きをしなければいけません。その為には私一人でじたばたしてもどうなるものではありません。お道も教会名称という国々処々にまかされた責任ある立場を与えられたように、愛昭分教会でも、会長を中心に理事、役員の方々、さらには各部長の元にそれぞれが教会運営に役割を持ちつとめさせて頂かねばなりません。自分勝手では全体として非常に困る訳であります。
- この度、教祖年祭をはさんで、三年先の愛昭80周年を見据えて、愛昭の三ヶ年の活動目標を発表させて頂きます。
- 愛昭分教会の運営力がより強化されている
- バラバラでなく、役割、組織として全体でまとまりが強くなる
- 直轄講社がより活性化されている
- 事務所機能がより向上している
- 教会の窓口である事務所の働きが今以上よくなっていくこと
- おつとめ・鳴り物がより向上している
- おつとめ奉仕者は言うにおよばず、愛昭につながる全用木、信者、子供さんが神様の望まれるおつとめのけいこを
- 部内教会が今以上により充実
- 教会の充実とは、おつとめとおたすけ活動であります。それぞれの教会が三年後には今以上におつとめの手が揃い、おたすけの動きが心定め達成の上に現れてくるようつとめます
- この目標を達成するために、10月1日より新しい組織で動き出します。つきましては、皆様方にお願いさせて頂きたいことは、愛昭分教会全体の運営の為つとめられる新しい役員、部長の言うことは会長の思いであるということを心においてほしいと言うことです。
- 大勢の人々で成り立っている教会です。一名一人の心は銘々自由をお与え頂いておりますので、それは結構でありますが、こと愛昭分教会に所属するということは、一つの団体の決まり事に合わせてまとまっていかなければ治まりがつかないのです。それぞれの役割を与えられた部長さんを中心にして、この度掲げた三ヶ年活動目標に向かって心合わせて動いて欲しいのです。「私は合わないから勝手にするわ。」では困るのです。
人はややもすれば、我が身勝手の心から、共に和して行くことを忘れがちである。ここには、心澄み切る陽気ぐらしはなく、心を曇らす暗い歩みがあるばかりである。
勝手というものは、めん/\にとってはよいものなれど、皆の中にとっては治まる理にならん
(M33.11.20
おさしづ)
一つに心合わせるのは一つの道の理に心合わせることで、この理を忘れる時は、銘々勝手の心に流れてしまう。
一手一つの心に自由の守護が頂ける。いかに多くのものが相集っても、一手一つの理を欠くならば、親神に受け取って頂けない。人皆、相互に一つの道の理に心を合わせ、互い立て合い扶け合うてこそ、陽気に喜んで生活して行ける。
真の陽気はここに全うされる。
(
天理教教典より)
- とあります。愛昭分教会につながる皆様方お一人おひとりの一手一つの心で当教会が教内で、そして名古屋の中で、さすが愛昭分教会の人はと認めて頂けるようになるには、今一度お互いのいんねんを自覚し、たんのうしはかろ、お互いの癖性分をとる、おたすけに励み、おつとめをつとめる中にあろうかと存じます。どうか日々自分に厳しく、感謝・慎み・救け合いの心でお通り下さい。教祖がきっとお喜び下さるにちがいありません。
- 親神様、教祖を始め今日つとめさせた霊様方にも安心して頂くことがひいてはそれぞれの心の成人につながっていくことと信じております。
成人とはをやの思いに近づく歩みである。
(諭達第二号より)