

教祖は寄り来る人々にいつも「むごい言葉を出さんよう、切り口上、捨て言葉、愛想づかしは口が腐っても言うやないで」とお諭しくださいました。
親神様の世界だすけのお手伝いをさせて頂く用木は注射や薬こそ使用しませんが、話一条で身上や事情のお救けをさせて頂くので「話し医者」と呼ばれています。言葉の他人に及ぼす影響力は大きく、言葉一つで人を殺す事も生かす事も勇ます事も怒らす事もできると言われております。お道の者は特に日々正しい使い方をして通らないといけません。相手を勇ませ、喜ばせるような言葉、人をほめ喜ばせる言葉ばかり出せたらいいのですが、高慢で負けず嫌いの人はなかなか人をほめることができません。人がほめられない人は親神様のご守護を頂きにくい人だとも言われます。
物事には表裏両面あります。どんな人でも良い面もあれば悪い面もあるのです。「あの人はよく酒を飲むけれど働く人だから」と言えば褒め言葉でしょうが、「あの人はよく働く人だが酒を飲む人だから」と言ってしまえば、批判的なけなす言葉になってしまうのです。
「子供は親の息で育つ」と言われます。しかし子供の育つ息と育たん息とあるそうです。声は肥やでお聞かせ頂くように切り口上、捨て言葉、愛想づかしの声は肥にならないのです。
教祖は、増井りん(大縣大教会初代)が大雪の日にお屋敷に帰って来られた時、りんの姿をご覧になられるや否や「まぁ/\よう帰って来やはったなぁ」と教祖の方から先に声をおかけになったそうです。柏木庫治(東中央大教会初代)という先生は「先にあいさつされたら理の借金出来たと思へ」とお仕込みなさったそうです。先にあいさつし、言葉をかけられる人が神様からよくそこまで成人してくれたとお喜び頂ける人でしょう。
本年は教祖年祭の年としておぢばを賑やかにさせて頂く為に、自分のまわりの方々に「おぢば帰り」のお誘いの声を掛け合いたいですね。苦労して苦労して一人の方でもおぢばへ教祖のもとへお連れさせて頂いたらきっと教祖は「ようまぁ帰って来やはったなぁ、神が十分/\受取るで」とおねぎらいのお言葉をかけて下さるでしょう。
こぞって、おぢばへ
本年一年は教祖120年祭の年です。