天理教愛昭分教会
Heart & Heart

Heart & Heart
-Vol.003-
R169/02/20

おぢば

 このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ  (みかぐらうた よろづよ八首)
 こゝはこのよのもとのぢば めずらしところがあらわれた  (みかぐらうた 五下り目 九ツ)
 こゝはこのよのごくらくや わしもはや/\まゐりたい  (みかぐらうた 四下り目 九ツ)

おぢばは、人間宿し込みの場所であり、私達人間の故郷であります。ですからおぢばは参拝に行くというよりも親の里へ帰るので「おぢばがえり」させて頂くと言っております。おぢばは、親神様(天理王命)のお鎮り下さるところであり、よろづたすけの源泉地であります。

 おぢばの土、一度踏んだら一度の徳をつける。二度踏んだら二度の徳をつける。三度踏んだら三度の徳つけてやないと帰さんで、たとえ金儲けのために来る商売人でも、徳をつけてやないと帰さんで。
 この家へやって来る者に、喜ばさずには一人も帰されん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である。

と存命の教祖が親心いっぱいでお待ち下さっているのが、おぢばです。

特に本年は教祖120年祭の年として、こぞって"おぢば"へ帰らせて頂くことを申し合わせ、お互いの心の成人の姿を教祖にご覧頂きたいと思います。世界から見れば、何故あんな片田舎へわざわざ遠方から日数を費やしてやって来るのかと思われがちですが、すべて親を慕うやむにやまれぬ心があるからです。存命の教祖は人間のどのような苦しみも悩みも、すべて鏡に写るよう見抜き見通しでご存知下され、皆引き寄せて救けてくださるのです。人間の知恵、努力で行き詰まった時、真夜中でもおぢばへ帰らせて頂き、親元で額づく時、教祖はきっと救かる道を思い浮かばせて頂くに違いありません。何故ならば「おぢばに帰る」とは親の懐に抱かれて愛情を受ける事であり、喜んで頂ける事にもなるからです。

喜びも悲しみも親のひざ元で打ち明けさせて頂きましょう。日々人間社会で疲れ切った魂もリフレッシュさせて頂けることうけあいなしです。できれば一人よりも二人、二人よりも大勢で。こぞって"おぢば"へ。

愛昭分教会長 花井基弘
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