

広島時代の話を一つ。身上の方ににをいがかかり、おさづけを取次がせてもらえると、飛び上る程嬉しくて、良く断食をしました。(人の不幸を喜んでいるのではありません、おさづけに飢えていたのです。念のため)これは、私の出来る事、例えば3日間食事はお供えさせてもらいますから少しでも病人の痛みが和らぎます様に、又苦しみが無くなります様にとお願いさせてもらうのですが、炊事当番の時等、発狂寸前?でした。
続けて何回もしているとさすがに体が持たないので一日一食だけにしたりと、変化に富んでいましたが一ヶ月に食事の数が10数回なんて云う月もありました。又、空腹で意識もうろうとした状態でフラフラ歩いていて街のカンバンに思い切り頭をぶつけて星が飛んだこともありました。思い出しました。徒歩おぢばがえりの時、真夏の炎天下のアスファルトの路上の蜃気楼の向こうにビールのジョッキを見た事もあります。(本題と関係ないですね)
私は若い頃から胃腸が弱くて、十二指腸潰瘍を患っていましたが、自分のこととなるとだらしが無くて、食事療法とか節食するのがつらくて、ついアルコール様の甘い誘惑に負けてしまうことが良くありました。(治りかけは特にうまいです、後で苦しみましたが…)
自分自身の事ではダメでも、人様の事では心に決めた通り、抵抗なくスッと入って行けます。例えば一年ぐらい酒断ちしていても、気が張っているので持ちますね。(ただしその後のゆり戻しの振幅が大きいのが欠点ですが。)
人のために祈る、これは自分自身を変えて行く大きなチャンスです。又、「食べる」ことにも特別な感謝の念がわきます。