天理教愛昭分教会
Heart & Heart

Heart & Heart
-Vol.018-
R170/05/20

→頼 野 雅 廣
よりのまさひろ。
1957年生まれ。
芦津部属
南國分教会五代会長。

道をあゆめば (2)

さて、当時、心臓が止まってから、どれだけの時間が経っていたのでしょうか? 一般的には4分以上、脳に血液がまわらないと何らかの障害が残ると聞きますが、お陰様で私は何の障害もなく54歳になる現在まで元気にお連れ通り頂いております。

時は流れて、昭和28年、布教所も教会設立のお許しを頂き、我が家も親神様にお入り込み頂き、布教所を開設させて頂きました。しかしながら、熱心に勤める両親を横目に、当の私はというと、無い命を救けて頂いたことも聞かされる事も無く、あまり好きでなかった教会とは距離をあけ、足を運ぶ事さえしませんでした。その理由は、元来父親が病弱であったため、働く意欲があっても身体がついていかず、少し無理をすると直ぐに具合が悪くなって休み、倒れるという状況でした。ですから、私が小学生の頃は、父親が家事を行う、いわば「主夫」であり、母親が外で働いて生計をたてていました。

しかし、当時女性が稼ぐ事の出来る金額など男性に比べれば知れたものです。どんなに働いても男性が得る収入には追いつく事は皆無に等しいでしょう。ところが、その、やっと貰ってきた給料も教会へ、教会へと持って行ってしまうのです。と、なれば、当然ながら、私達子供は真新しいものを何一つ買ってもらう事が有りません。着る物や勉強道具、身の回りは何時も何時も頂き物のお古ばかりで、また、その事がクラスメートに笑われる事が何よりも嫌だったのです。そして、「天理教を信仰しているから、こんなに貧乏なんだ。」と、矛先を教会へと向け、両親が信仰している事をも恨んでいたのです。

しかも、両親にとっては何があっても教会が優先でしたから、私が中学校を卒業するまでは、例え、授業参観であろうが運動会であろうが、その日が教会の月次祭であれば学校を休まされて教会に連れて行かれていたのです。楽しみにしている遠足でさえ同様ですから、随分反発もしました。姉妹3人は鼓笛隊に入って教会に通っていたのですが、積もり積もった鬱憤からか「自分だけは違う、親の言いなりにはならない」とでも当時の私は思っていたのでしょうね、入信の切欠が私の命だとも知らずに…。でも、毎日々々、一生懸命教会に足を運び、御用をしている両親の姿を見ていると何も言うことが出来ず、何時も心の貧しい毎日を過ごしていました。

しかし、今思えば、その生活は、我が家の因縁を自覚した両親にとって精一杯の御恩報じだったのだと思います。

【 お詫び 】
前号 Vol.17の頼野先生のプロフィールにて「南國分教会三代会長」と記載しておりましたが、「五代会長」の間違いです。訂正と共にお詫び申し上げます。

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