

公務員にも色々ありますが、私が合格したのは郵政、つまり郵便局で、その研修を期に社会人への第一歩を踏み出させて頂きました。無事、研修を終え、配属されたのは京都の伏見郵便局で、ここでは4年程勤務したでしょうか。その4年の間に、天理高校K部時代の後輩だった家内と結婚し、人並みの幸せを手に入れていましたが、どうしても気がかりなことが一つだけありました。それは、私が結婚する前に父親が出直してしまったので、一人で鹿児島で生活を送っている母親のことでした。
病弱だった父親の代わって生活費を稼ぎ、私を始め子供たちをここまで育ててくれた事に対する恩を、自分も結婚して感じ始めたのかもしれません。多分、少しずつ私の中で何かが変わり始めたのでしょう。天理高校II部の受験も厳しい両親から離れるためだったにも拘わらず、私が大人になったのでしょうか、母親が一人になってしまった事もあるでしょう、兎に角、母親のことが気になるのです。だからと言って、お道のことを考えたり、教会のことを思うような事は、この頃もありませんでした。
私は意を決し、転勤願を提出しました。転勤願を出すくらいで意を決する必要があるのか、と、思うかもしれませんが、当時、郵便局に勤めていた人は地方からの就職者が多く、それに比例してUターン希望者が多数いました。受験した時と同様、競争率が激しく、とても希望がかなうような状況ではなかったのです。しかし、今考えると、これが神様のなさる業なのでしょうか。当時の局長が同じ九州出身ということもあり、何故か親身になって声をかけてくださったのです。そして、転勤願を出してから半年後には鹿児島中央郵便局への配属の辞令を頂く事が出来たのです。この時は本当に信じられないという思いで一杯でした。
さて、不思議ながらも鹿児島での生活が始まった訳ですが、故郷といえども、新たな職場です。やはり、慣れるまでには時間がかかります。鹿児島へ帰ってきた、といっても、2,3年は教会に足を運ぶ事もありませんでした。とにかく必死だったのです。そんな時、家の中を守ってくれていた家内が身上にお手入れを頂いたのです。