

家内の身上を通して親神様の存在を知った私は、それからというものは、仕事をしながらではありましたが、教会の毎月の月次祭には夫婦揃って前日からの準備ひのきしん、月次祭の当日は人よりも早く行かせて頂いて祭典前の準備ひのきしん、勿論おつとめ、それから終わってからの片付けまで、最後の最後までつとめさせて頂いていました。
そんな中、常に教会へ、教会へと運び、私の無い命を救けて頂いた御恩報じにとつとめにつとめきってくれた、母親の出直しという節を頂いたのです。
母親は布教所長をつとめていましたので、当然ながら後継問題が発生します。そして、そのターゲットとなるのは、勿論、長男である私です。過去の私であれば、「何? 布教所長? 無理無理。」と、取り合うこともなかったでしょう。しかし、この時の私は過去の私とは違います。既に親神様の存在を知ってしまっているのです。となれば、自然と布教所長に就任する運びとなるものです。
母親がつとめていた布教所は、にをいがかかった信者がそこへ居りましたので、私なりに責任感を持ちながらつとめさせて頂きました。仕事との両立は大変でしたが、そんなことよりも、一番大変だった事は、信仰に対して未熟な私にとって、ひとことはなし、つまり、神様の教えを取り次がせて頂く事が出来なかったのです。いや、出来なかった…というと語弊があるかもしれません。お話を取り次ぎたくても、何をどう話しすれば良いのか全くわからなかったのです。
そんな私でも、布教所長という立場を頂いてから10年の月日が流れました。その間、本当に、どうにかこうにかつとめさせて頂いた…という感しかないのですが、その頃は丁度、明くる年には「教祖110年祭」をむかえさせて頂くという時旬、三年千日活動の仕上げの年でした。
ところが、こんな時旬に、またしても大きな節をお見せ頂くのです。それは、その年の9月、当時の会長、四代会長・芳村アイ先生が突然身上に倒れられ、その後、僅か2週間程後にお出直しされてしまうのです。