

松下幸之助という人の人生は、その出発点において決して恵まれたものではなかったそうです。貧乏で病弱で学歴もないその中、「自分はとても運が強かった。」と語るのです。「貧乏だからこそお金の尊さ有難さがわかり、病弱だからこそ人に仕事を任せ、人に育ってもらえた。また、学校に殆ど行っていなかったから分からないのが当たり前。だから簡単に人に尋ねることが出来、沢山の人から良い知識を貰って会社を発展する事が出来た。」と言うのです。
自分の身に不幸が襲ってきた時に、大抵の人はその事に納得できず、成ってきた現実を受け入れる事が出来ないばかりか、人のせいにしたり、恨んだり嘆いたりする事が多いようです。しかし、救かっていく人や本当に運の良い人、徳のある人は悲愴な思いで通るのではなく、明るく前向きにその節の中もいそいそと暮らしていくのです。私達の親々はどんな身上・事情の中もいそいそとその節を陽気に道を通ってくれました。
何故陽気に通れたのでしょうか?
それは信仰の元一日を思案し、自分の因縁をしっかりと自覚できたからだと思います。元一日に立ち返り、今ある自分を喜ばせて頂く事ができる。それが出来なくなりそうになった時、また神様から節を頂く。その時、また元一日に立ち返る。「人を救けて我が身救かる」道に飛び込んでいく。お救けさせて頂ける自分に気付き、再びふつふつと喜びが湧き上がり、人も救かり、結果的に自分も救かっていく姿を見せて頂けるのです。
本年4月20日には愛昭創立80周年記念祭をつとめさせて頂きます。
何の為の記念祭か?
それは教会の元一日、それぞれ家の信仰の元一日、そして自分の信仰の元一日に立ち返る為なのです。元一日に立ち返った時、現在どれだけ救けて頂いているか、当たり前に毎日を送れる有難さに気付かせて頂けるのです。その喜びを継続・発展させる為にも自分の与えられた役割を通して、神様に、そして人々に何らかのお返しが出来るようになる事が大切なのです。
おつとめと人救けによって…。