

4月20日、いよいよ「愛昭創立80周年記念祭」を迎えます。
80周年のポスターにも掲げてあるように「信仰の元一日に立ち返る」ための記念祭なのです。信仰生活にとって最も大切なことは「御恩報じ」だと、よく聞かせて頂きます。御恩報じする為には、御恩に気付き、御恩を感じることが前提です。親神様の御守護を御守護だと感じることが出来なければ、何年信仰しても形ばかりの信心になってしまいます。
日々、無事無難に過ごさせて頂ける事が、どれだけ有難いことか心に治まっていなければ、根本の「つとめ」「さづけ」を始め、「つくし」も「はこび」「ひのきしん」も重荷になってまいります。そして、「にをいがけ」「おたすけ」となると更に足は重たくなってまいります。私達の家の信仰の元一日、それぞれの初代が入信した時に、そこには必ず「感動」や「感激」が有りました。どんな身上や事情の中でも親神様の御守護を感じ、その親心に「有難さ」を痛感していたに違いありません。だからこそ、御恩報じの「つとめ」と「さづけ」に励むことができ、「喜び」の中に信仰生活を送ることが出来たのです。
初代から代を重ねて、御恩報じの道を通ってくれたお陰で今があるということを忘れてしまえば、何もかもが「当たり前」となってしまいます。
もし、親神様の御守護がひとつでも欠けたら、どうなるでしょうか?
大変なことになってしまいます。
また、今日あるのは自分だけの努力によるものなのでしょうか?
私達の親々は、子供や孫、後に続く者のために「いんねんを自覚」し、運命を替えて徳を頂けるこの道を通って下さればこそ今があるのではないでしょうか?
それぞれの家の運命と徳を嫌というほど身にしみていました。だからこそ「このままではいけない」と、「人を救けて我が身救かる」この道をひたすら歩んで下さったのです。今あるのは決して「当たり前」ではなく、実は「有難い」ことなのです。その有難さに気付かないのなら、元一日に立ち返ってみては如何でしょうか?
元一日に立ち返ったとき、そこに今まで気付かなかったことに気付き、「喜び」がふつふつと湧いてくるでしょう。それくらい、元一日に立ち返るということは大切なことなのです。「倒れたところで立ち上がる」ということでしょう。
では、信仰の元一日、具体的には何をしたのでしょうか?
きっと、教会へ「運び」、おぢばへ「運んだ」ことでしょう。そして、話を聞かせてもらうと「人救け」を教えて頂き、おたすけに「運んだ」のではないでしょうか。
元一日に立ち返るということは「動く」こと、運んでいくことではないでしょうか?
動く中に、自分が、我が家が本当に救かっていることを再確認でき、本来の御恩報じの日々が送れるのではないでしょうか?
80周年は元一日に返るときであり、御恩に気付かせて頂く時なのです。