天理教愛昭分教会
Heart & Heart

Heart & Heart
-Vol.030-
R171/05/20

時旬の働き

この度、80周年記念祭をつとめさせて頂くにあたって様々な「節」をお見せ頂きましたが、その節を通して、数々の成人の姿・御守護も見せて頂くことができました。ここに時旬の働きの有難さ・尊さがあると思います。

寄り来る処、日々種を蒔く、一つ種を蒔く。旬々の理を見て蒔けば皆実がのる。旬を過ぎて蒔けばあちらへ流れ、遅れてどんならん/\。
(明治22年7月31日 おさしづ)

私達の先人達も旬々の御用を精一杯つとめて下さいました。そのお陰で、今私達がなんとか節を乗り越える「力」をお与え頂く事ができ、また節目節目に芽を出すことができる御守護を頂く事ができるのだと思います。この世の中でただのものは一つもありません。実りの御守護を頂くには、頂けるだけの真実の種まき(事実)が必要であるし、その種が育つ為の修理・肥が必要です。いわゆる「丹精」が不可欠なのです。

一粒の種を蒔く日から、出来芽が吹くか。あちらへ肥差し、こちらへ肥差し、世話取りせにゃならん。世話無くして肥無くして、修理無くして、実はなるものやない。人間心でどうしようこうしよう成るものか。日々の守護ありやこそ、年限の理。数々の理から理を伝え/\。又々日々の事から成り立つ一つの理である。
(明治34年11月21日 おさしづ)

物事が成ってくるには成るだけの努力・苦労が必要だということでしょう。成ることが難しいのではなく、成ってくる理をつくるのが難しいと聞かせて頂きます。

日々の地道なつとめた事実(種)が大きく実っていく元になるのでしょう。

「節から芽を出す」のも「節から折れ腐っていく」のも、その元は節の生き方・心構えにあると思います。どんな節にも親神様の深い深い親心がこもっているということ、本当にご苦労下された教祖のひながたを見失わないことさえ忘れなければ「節を喜び」に変えていけることでしょう。その為にも根である親にしっかり添っていきましょう。親々から流れる旬の声を「素直」に「合わせて」「勇んで」頂きましょう。

この度の80周年のおつとめに参拝し、おつとめに奉仕された方の中には、長年どうしようもなく痛くて曲がらなかった膝が、ひょんなことから曲がり正座できるようになったとか、大きな事故にあい、手術後の痛みがおつとめ中に薄らいでいったとか、子供や孫が紙一重のところで救けて頂けた、という喜びを聞かせて下さいました。しかし、考えてみると、どれもがその陰に親々が旬々の御用を精一杯つとめて下さっていた種(真実)があったということを強く思います。先人達が私達子供や孫、後々続く者の為につとめて下さったように、私達も今さまざまな節を頂いている中、時旬の働きを信じて、日々種まき・丹精に励んでいきたいものです。

愛昭分教会長 花井基弘
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