天理教愛昭分教会
Heart & Heart

Heart & Heart
-Vol.025-
R171/01/01

新年の挨拶と愛昭80周年

立教171年、新年明けましておめでとうございます。

昨年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか?

世間では「偽」という漢字で示されるように「にせ・いつわり」の多い事件・事故が次から次へと明らかになってまいりました。メッキはいつかは剥がれる。本物はいつまでたっても真実であります。

私達お道の者は「真実・誠」を教えて頂きます。

誠の道を通るには、心に一つの曇りありて、暇が要りて、どんならん。積み重ねる処、天然自然の道や。世間の事を聞き。強い者は弱い、弱い者は強いで。強い者弱いと言うのは、可怪しいようなものや。それ心の誠を強いのやで。心定め。先も長くの道と思えば、とんと心を定めて、腹を立てゝはどんならん。 (明治20年12月4日 おさしづより)

本年4月20日、愛昭創立80周年記念祭をつとめさせて頂きます。教会の元一日、それぞれの家の元一日、自分の信仰の元一日に立ち返った時、心に曇りは無いだろうか。不足の心で通っていないだろうか。そして、誠の道を日々通っているのか。新めて再検討させて頂く事が大切ではないでしょうか。

大正末期から昭和の初期、高安大教会では教祖40年祭に先駆けて教会の倍加が提唱されました。「布教に出て3年過ぎた者は宣教所の名称を」の旬の声のまま、西海兵三(後の南愛二代会長)先生を初代所長として、昭和3年7月25日、愛昭宣教所(名古屋市東区杉村町深田18番地)が誕生しました。その後、西海先生は上級南愛へ帰ることとなり、後任の会長として花井義雄(親会長)に、その矛先が向けられました。しかし、家内である、花井まさ(おかあさん)は「同じ名称を頂くなら、新しく頂きたい。」と断ると、長男である春國(後の愛昭三代会長)の腰が抜けて立つことさえ出来なくなってしまいました。

そこで親神様の思召しを悟られ「愛昭宣教所」継承の心を定めると、たちどころに腰の抜けたのが御守護頂いたのです。

かくて、昭和17年2月27日、花井義雄は愛昭分教会二代会長に就任致しました。戦中戦後の厳しい時代を夫婦でにをいがけ・おたすけに、そしてひのきしんにあけくれたのです。

昭和20年、大東亜戦争により教会は全焼し、戦後、東区山田東町の狭い借家に移住しました。そんな頃、「花井さん、困った時はいつでも相談においで。」との都南の加藤ひさ先生(南媛初代会長)の言葉を頼りに、汽車の切符も入手困難の中、やっとの思いで四国・松山の加藤ひさ先生のもとへ教会の復興普請のお願いに出掛けたのでした。ところが、開口一番、「花井さん、何を言うんですか。今、上級の南愛はどんな状態ですか! しっかり上級につとめなさい。」と、思いもかけない返事に腹を立てましたが、冷静になって考えると「その通りだ。」と、上級教会の復興普請に全てを伏せ込まれました。そうした道すがらが種となって、現在地(千種区星が丘元町)に教会が移転される頃には怒涛の如く教会は伸び広がっていったのです。

元々、何も無いところから、親の声・旬の声を頼りにひたすら伏せ込みに徹しきられた初代会長夫妻。信者らしい信者もない中も“いんねん自覚”し、親一条につとめ切られた二代会長夫妻(親会長・おかあさん)。その後、三代、四代、五代と、代を重ねる中、様々な節を、親神様・教祖を頼りに、また、愛昭につながる多くの方々のお力添えを頂き、乗り越えてきた愛昭の80年の歴史です。

価値観が多様化する現在、その中で持ち場・立場は違っても一つの道の理に心を合わせる「一手一つ」の心が教会でも家庭でも、職場でも大切だと思います。

愛昭に繋がる一人ひとりが、日々、「朝起き、正直、働き」の実行を怠らず、それぞれのいんねんを自覚し、たんのうの心で機嫌よく毎日を送る事が大切だと思います。その陽気ぐらしの姿に感じて、次の世代も「この道を自分も通らせて頂きたいなぁ。」という思いになっていくのではないでしょうか。

どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます。

愛昭分教会長 花井基弘
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