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愛昭コテキ通信 Vol.03

個性を認めること

人は一人ひとりみんな顔も違うし、性格も異なる。完全に同じというコピーした人は世の中にいない。私という存在は、世界でたった一人、過去、未来も含めて今ここにいる。これは当たり前過ぎて、普段は意識していませんが、よく考えてみると、すごいことです。その私の個性って何でしょう?

ベストセラーになった『五体不満足』の著者、乙武洋匡君は、先天性四肢切断という障害を持っているが、その生き方、さわやかさは多くの人が共感したと思います。その本の中で、小学生の乙武君は負けず嫌いで、漢字のテストはいつも一番。その乙君に、やはり負けず嫌いの女の子が挑戦するエピソードがあります。

女の子 「おとになんか負けないわよ」
乙 武 「いや、ボクは次もチャンピオンになるよ」
女の子 「そうはいかないわ。私はおとになんか何だって勝てるんだから」
乙 武 「いや、ボクには誰にも負けないものがある」
女の子 「なによ、それ。勉強だったら私も負けないわよ」
乙 武 「そんなことじゃない!」
女の子 「なによ、それ?」
乙 武 「ボクには手と足がないことだ」

手と足がない…それがボクだ。四肢切断という障害を、自分が背負ってしまった重荷ではなく、ボクの個性だと言い切れることは素晴らしいことだし、ひがみを感じさせない育て方をしたご両親、周囲の人々にも、素晴らしいと思います。

一般的に言って、子どもたちはその存在のまま認めてもらえることが少ない(最近は大人もそうですが)。子どもは大人になるための準備段階、将来何かになる存在であり、大人の予備軍としての今があり、言ってみれば半人前の状態。DVの専門家、森田ゆり氏がこんなことを言っています。

子どもにとって、今という時は、今を百パーセント生きるためにあるのではなく、明日の準備のためにある。しかし、明日も明日を充分に生きるためにあるのではなく、明後日の準備のためにある。今を生きる日はいったいいつやってくるのか。自分の頭にくくりつけられた、1メートルの棒の先にぶらさがる肉を、ひたすら追いかける犬を想像してしまう。目の前の肉に食らいつこうと、犬はひたすら走る。しかし肉はどんなに走っても1メートル先である。決して縮まらない1メートルを追いかけながら、犬はいつまでも走り続けなければならない。 『将来のために今がある』『すぐれた大人になるために、今を生きる』という目的意識的価値観にとって、今の自分は常に否定され、克服されるべきものとしてある。そのような価値観が支配する社会では、人は今の自分を好きだと自己主張することを許されない。子どもたちがやり場のない苛立ちや焦燥感にさいなまれるのも無理はない。子どもたちが自分への自信のなさに縛られているのも無理はない。

今、特別な才能がなくても、そのまま受け入れてくれる大人がいて、そのことが子どもに「ボクも案外いけるぞ」と、自信を回復する力になる。声を「聞く」から、心の声を「聴く」。そこから開かれた関係が始まる一歩だと思います。

これらのことは、私たち道の信仰にも言えます。ようぼくとして、いつも「ひのきしんをしなさい」「にをいがけをしなさい」と言われて。例えば別席者を創らないと認めてもらえないような親神様ではなく、そこに在るだけで一れつは可愛い我が子だとおっしゃる「おや」であり、神様と人間のスタートはそこから始まると思います。

→ 部長
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鼓笛とファイフと私

私が愛昭の鼓笛と出会ったのは、たぶん幼少の頃だと思う。祖父に手を引かれて愛昭の月次祭の参拝時に、お供演奏を目の当たりにしたのが出会いであったろう。当時、水色のシャツに短パンといういでたちで、とても爽やかな記憶がある。しかし、音痴で音楽に興味のない私は、そんな演奏を見て「自分もやってみたい」とか、「鼓笛隊に入りたい」と思うものではなく、自分とは全く関係のない、テレビの中の世界と何ら変わりのない、非日常的な光景でしかなかった。また、父親も鼓笛に入ることは反対であったし、教会から遠いというのもまた、その理由の一つでもあった。そんな家にも、教会で鼓笛隊でも始めるつもりであったのか、昔からファイフが何本か転がっていた。

時は流れて、大学卒業後、私は縁あって少年会本部に勤めることとなった。そこで私は取材を通して、鼓笛隊活動の現場も見せて頂いた。なんと素晴らしい活動かと感銘を覚えた記憶がある。

そして4年半の勤務終了と共に教会住み込み青年に入る。そこでお与え頂いたのが少年会の係員であった。勤務中、少年会活動についてたくさん勉強させて頂いていたが、現実はまったく違っていた。何を始めるにも、まず人集め。そのための準備や、日頃の声かけで、本当に「段取り八分」とはよく言ったものだ。本部で学ぶ華やかな少年会活動のあれこれと違い、現場はこんなものかと、理想と現実のギャップに苦しんだものだ。元来、短気で子どもが苦手な私にとって、わがままな子どもたちを相手にすることは本当にイヤなものであった。

そんな私が今は鼓笛の係員も3年目になる。そろそろ鼓笛の動きにも慣れてきたし、だんだんと段取りもわかってきた。何よりあんなに苦手だった子どもたちにも、ボチボチ相手をしてもらえるようになった。それぞれの個性、性格もなんとなくつかめてきたし、憎たらしかった子たちも、今では可愛いと思えるようになった。きっと自分も子どもたちに、何かを教えてもらっているんだと思う。

私は音痴なので音楽のことはほとんどわからない。技術的なことは教えられないけど、私にできることでしっかりお世話させて頂こうと思って努めている次第である。そして、「早く大きくなあれ!」と、子どもたちの成長を望まずにはいられない。そんな子どもたちに負けず、自分も成人しなければと思う今日この頃である。

→ 鈴木伸宜
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