天理教愛昭分教会
鼓笛クラブ
とら

鼓笛クラブ

プロフィール

昭和30年代

昭和37年から38年にかけての克明な子供会活動記録が残されていました。当時の状況を生き生きと知ることができる貴重な資料です。記録者は既に出直された原田真知子(旧姓 上野)さんです。活動記録の中から親会長様(二代会長 花井義 雄先生)の当時の係員への講話と当時の子供会行事を紹介します。

昭和37年度 こどもおぢばがえり世話係員打合せ会

会長様子供部屋へおいで頂き、一同と共に話し合いの時間を作って頂いた。

【 会長様お言葉 】

顔見知りの子供が少なく、ほとんどが初対面の子供たちなので、しっかりと世話をしていただくように。

<将来の子供会の行き方について>

一時的なものでなく、永久的に続けてますます伸ばして行く上にはどうすればよいか、それぞれに考えてほしい。将来どんな立場、どんな状態にあっても、いつもこの子供会を忘れずに心に留めて、気軽に立ち寄って行くといったものに育て上げてほしい。

  1. その点についてこのような会合を毎月行うようにしたい。
  2. クラブ活動の出来る方向にもっていく(楽しみを持つこと)

いつまでも下積みの人生でなく、人の上に立てるような人間にならなくてはいけない。それには日々一つの信念をもって行動出来る人でありたい。自己のいんねんに負けないようにする。それには日々数多く、耳からしっかりと声を聞いて、心身共に実行して自己のものに消化して行くことが大切である。

この土地へ初めて立ったとき、何を考えたかと言えば、この広い土地に愛慈園や子供の遊園地を作り、子供会などもやりたいものと思った。そんな矢先、荒川さんが専修科を卒業してまもなく自発的に子供会を育成したいと、子供会を作ることに力を入れてくれて、今日この子供会の姿になるまでは、幾多の避難、悪口、荒波を乗り越えねばならず、まことにけわしい道であった。しかし私は一度も「ごくろうさん」「よくやってくれた」…等のねぎらいの言葉一つもかけてやらなかったが、その中よく心くじけず今日までがんばってくれた。後からその姿を眺めて、よくその状態を知っていた。いつまでも荒川さんにもたれていてはいけないので、みんなめいめいが一手一つに協力しあって、よい点をどんどん伸ばして、なお一層よりよき子供育成の上に努力してほしい。

教会住み込みと外部の人たちとの心のつながりが乏しいという点について、サンドイッチ、汽車の心でありたい。つまらないつまらないで終わらず、お互いに向上心があってほしい。一つの楽しみとなるまで、研究を重ね努力をしてほしい。

男子…ブラスバンド。女子…コーラス等、どうか。

昭和36年には現在の神殿が落成した。東山から先で一際目立つ建物であった。しばらくは子供たちには縁が無かったが、その後、神殿正面左地下室が練習場となり、合宿時の宿泊場所ともなった。パート毎の練習は、神殿周りや新館など、昼食後 の休憩には教会付近の東山公園が遊び場であり、午後の練習が始まっても多くの隊員たちが山から戻ってこないこともしばしばあった。曲の練習ばかりでなく、子供向けの教理の時間もあれば、ゲームの時間もあった。

昭和30年代の主な出来事
昭和30年 愛昭鼓笛隊発足 こどもおぢばがえり初参加
昭和34年 こどもおぢばがえりに再度参加 以後毎年参加するようになる
昭和35年 団旗完成
名古屋市公会堂にて鼓笛演奏
千種区子供会芸能発表大会にて鼓笛演奏
昭和36年 現神殿新築落成奉告祭
昭和37年 「街を美しくしよう」子供会パレード
第一回 愛知教区鼓笛コンクール
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