天理教愛昭分教会
鼓笛クラブ
とら

鼓笛クラブ

プロフィール

昭和50年代

昭和50年代を一言で言ってしまえば、すべての面で「恵まれた時代」であった。それは、長年の苦労の積み重ね、数多くの先輩方の苦労の種が一度に実ったのではなかろうか。鼓笛にたずさわる者にとっての最高のタイトル、鼓笛オンパレード「最優秀賞」を頂いたのもこの次期である。係員、隊員へのまめなハガキ、電話攻勢、春夏合宿でのお楽しみ行事等により内容も充実、隊員が増加した。それに伴い、年少者でも無理なく鼓笛活動ができるように工夫されたのが愛昭プリティーバンドである。

プリティーバンドは鼓笛の予備軍的な存在であった。当初、鈴岡勤一氏を中心としたスタッフは、毎回子ども向けのプログラム(リトミック、リズム楽器、ゲームetc)で四苦八苦された。しかし、その中で育った子どもたちが、自然に鼓笛バンドに入隊し、やがて係員となっていくのである。鼓笛バンド、プリティーバンドはお互いに兄弟というような関係で、終始和やかな雰囲気であった。春夏の合宿ともなれば、百数十人の子どもたちで教会はごったがえした。三度の食事、おやつから布団の段取り、いたれりつくせりのひのきしんのお母さん方の奮闘ぶりもありがたい思い出の一つである。

用木道場、神殿横の3階練習場、神殿下のカウンター等の恵まれた練習場所、恵まれた環境、恵まれた人材の中、鼓笛バンドは連続して金賞を頂いた。こどもおぢばがえりのおやさとパレードでは単独出演。リヤカーで造ったアリさん、サンダーバードの帽子、きらきら星、インディアン、それぞれが楽しいパフォーマンスであった。

また昭和58年、真柱様が愛昭分教会御巡教の祭には、真柱様の目の前で、緊張の演奏をさせて頂いたことは、愛昭鼓笛クラブにとって、この上ないほこりになることも、付け加えておこう。

昭和50年代の主な出来事
昭和50年 銀賞
昭和51年 年少児を対象に「愛昭プリティーバンド」を発足 金賞
「愛昭鼓笛バンド」に呼称変更
昭和52年 鼓笛オンパレードにて最優秀賞を受賞(演奏曲:キングコットン) 金賞
昭和53年 銀賞
昭和54年 金賞
昭和55年 金賞
昭和56年 金賞
昭和57年 3/2 三代会長様(花井春國)お出直し 金賞
6/1 四代会長就任奉告祭
昭和58年 5/20〜5/21 真柱様、愛昭分教会へお入り込みを祝し、鼓笛バンド演奏 金賞
昭和59年 4/29 第一回高安大教会鼓笛バンドフェスティバル 銀賞

真柱様お入り込み“うら”ばなし

昭和58年、真柱様が愛昭にお入り込みになった。教会にとっても我が鼓笛クラブにとっても、二度とない喜びの日であった。愛昭プリティーバンドのよい子のみなさんは、この喜びを一枚の大きな横断幕に描いた。「ようこそ しんばしらさま」と。そして、大きな真柱様の顔、その横にはそれぞれが自分の得意とする絵を描いた。花、動物、女の子…etc.子どもらしく愛らしい横断幕となった。真柱様も子どもたちの描いた絵を見てさぞかしお喜びになるだろうと、その横断幕を張った。その時誰かが言った、「真柱様の顔の横に描いてあるのはウンチじゃないか?」と。まさか?と思ったが、みんなで調べた。実にウンチであった。「誰が描いたんだー」と一斉に叫んだが、これも子どもらしくていいんだということで、当日も張らせてもらった。

なお、真柱様がこの絵を見て気づかれたかどうかは知らない。

恐怖の夏合宿入浴“流血”事件

この時代、鼓笛に出入りした者なら知らない者がいないほど、有名な事件がある。それは夏合宿の風呂流血事件である。あのころ風呂は用木道場を出てすぐのところにあった。各班ごとに決められた時間内に入る、実に芋洗いのような入浴時間であったが、暑い夏のこと、気に入った仲間と入る風呂は楽しみの一つであった。そんな中に大きな危険があった。入浴中の当時隊員N君は、みんなと一緒に風呂に潜って遊んでいた。何を思ったのか、ひょいと頭を上げた場所が悪かった。太い水道の蛇口の角であったのだ。一瞬に大きな浴槽が血の海となった。当時、育成係であった長崎弘氏が血と水浸しになりながら、N君を抱きかかえていた姿を私は忘れることはできない。N君も今は元気でバンド活動をしているが、いくつになってもあの事件は酒の肴になること間違いなしだよ!

→ 花井 基弘
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